法月綸太郎「切り裂き魔」について/創作物への批判とその対応について

 ミステリ作家法月綸太郎が書いた「切り裂き魔」という短編がある。(『法月綸太郎の冒険』収録)

 

  作者と同名の名探偵・法月綸太郎を主人公とした一編で、図書館の推理小説の最初のページばかりが破かれるという奇妙な事件をめぐる作品である。事件を解決するため、名探偵・法月綸太郎は図書館長の立会いのもと、被害にあった図書を誰が借りたのか、その貸出履歴を調査している。

 この短編を発表した後、作者の法月綸太郎は、大学の司書課程を受講しているという女性読者から、以下のような指摘の手紙を受け取ったらしい。

図書館はプライバシーの保護には、万全の注意を払っております。磁気コードの貸し出し業務については、本が返却された時点で、速やかに抹消いたします。1ヵ月、2ヵ月も記録が残っていることなどありえません。また、仮にそういう図書館があったといたしましても、蔵書のページが切り裂かれたぐらいのことで、部外者にその記録を見せるなど、館長立ちあいのもとでも考えられないことです。(中略)これは、一般の方には取るに足りないことでも、司書職に関わるものに取りましては、プライドに関わることなのです。理解して頂けると嬉しいです。

法月綸太郎. 法月綸太郎の冒険 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.4674-4679). Kindle 版.

  この手紙に対する法月綸太郎の応答は、『法月綸太郎の冒険』の文庫版に収録されている「文庫版追記 「図書館の自由」をめぐって」に詳しく書かれている。

 「文庫版追記 「図書館の自由」をめぐって」の前半は、雑誌『小説CLUB』(桃園書房)の1993年3月号「ハーフタイム」掲載された「図書館探偵の後日談」と題されたエッセイの再録だ。

 そこで作者・法月綸太郎は、「できあがった作品そのものをどうこうしようという気はないのだが、それと作品の外で誤りを認めるのは、全く別のことである」と書いている。

 その上で、「切り裂き魔」の描写にプライバシーの問題があるということは認識していた(だから貸出情報を探る上で館長立会いのもとという描写を挿入した)ことや、自身の母親が高校図書館の司書をしていた経験があり、その母親から特に指摘されていなかったことから問題はないのだろうと思っていたと述べつつ、作中描写が司書職のプライドに抵触する可能性があるとは思い至らなかったとして、女性の指摘に感謝し、また「同じように不快な思いをされた読者がもしあれば、この場を借りてお詫びしておきたい」という謝罪の言葉によって、短い文章を締めている。

 「文庫版追記 「図書館の自由」をめぐって」の後半部は、「図書館探偵の後日談」が書かれたさらに後、『法月綸太郎の冒険』の文庫版が発売される際に、追加して書かれたものだ。

 そこには、文庫版への収録にあたって批判のあった当該箇所を修正するべきか迷ったことの告白や(作品の根幹に関わる描写なので修正しなかった旨が説明されている)、作者が「図書館の自由」という理念について無知であったことの反省、そして「図書館の自由」をめぐる近年の動向について作者が調べたことが記されている。

 法月綸太郎の作品では、その後も図書館がしばしば登場するが、その内容は図書館員倫理や図書館の自由宣言の存在を踏まえた内容にアップデートされている。

 例えば、『法月綸太郎の新冒険』収録の「身投げ女のブルース」では、警察が国会図書館を利用していたと証言する容疑者のアリバイを確認するため、国会図書館に問い合わせするがプライバシー保護を理由に断られる描写があり、そこには地下鉄サリン事件の際に国会図書館が個人利用データを捜査当局に提供した問題など、「文庫版追記 「図書館の自由」をめぐって」で「私個人の目の届く範囲で学んだ」とされる事例が反映されている。

 また、『怪盗グリフィン対ラトウィッジ機関』では、登場人物が図書館のインターネット閲覧用端末を使用する際、その閲覧について、図書館員たちが保護してくれるので、政府による検閲を受けないと信頼している描写がある。

 私は、この図書館をめぐる法月綸太郎と読者との対話は、創作物に対する批判の受け止め方として、理想的なものだと考えている。

 批判を受けた創作物に対して、作者が本当に問題があるのかどうかを検討し、批判に正当性があると判断した場合は、自らの誤りを正直に認める。そして、該当の作品を修正する場合には、どのような意図でどの箇所を修正したのか(法月綸太郎氏の例の場合はなぜ修正しなかったのか)について読者にきちんと説明し、以降の作品ではアップデートされた認識で創作を行う。創作者として、非常に立派で誠実な態度だと思う。

 これは無論、創作者は全ての批判について対応するべきだという話ではない。批判の中には、正当なものもあれば、的外れなものもあるだろう。納得できない批判を受け入れる必要もないと思う。また、批判を受けたからといって、何が問題なのか本質を理解しないままに、一度公表した創作物を言われるがままに修正したり、引っ込めたりすることは、批判を完全に黙殺することと同じか、場合によってはそれ以上に無責任な態度だと思う。

 ただ、作者が読者と対話して、正当性があると判断したなら、その批判を受け入れることは、作者にとっても読者にとっても、そして作品にとっても幸福なことだと、私は考える。