プロレスの試合は著作権法で保護されるか? 改訂版

※この記事は2021年5月23日に公開した記事を、大幅に加筆・修正した上で、2021年7月19日に再公開したものです。

 

 

最初に

 皆さんは、プロレスを現地で鑑賞したことがあるだろうか?

 私も少し前まではチャンスがあれば、会場に足を運んで贔屓の選手を応援したものだが、新型コロナウイルスが猛威を振るい始めてからは、なかなかそういうわけにもいかず、生でプロレス観戦をしていない。私が住む島根県にはプロレス興業は来ていないし、都市圏に足を運ぶのは少しリスクが高い。

 ところで、大抵のプロレス団体は、試合観戦についてのルールを定めている。そのルールの中には、多くの場合、観客が写真やビデオを撮影することに関するものが含まれている。

 比較的多くの団体が採用しているルールは、「写真撮影はOKだが、映像の撮影や録音は不可」というものだ。業界最大手の新日本プロレスや、デスマッチプロレスで有名な大日本プロレスなどがこの方針をとっている。

 他方で、DDTのように条件付きで映像の録画を許可している団体も存在する。

mobile.twitter.com

 

 この動画撮影を許可するかどうかの問題について、私には少々気になっていることがある。

 それは、動画撮影を許可していない団体の中には、動画撮影を禁ずる理由として、著作権を持ち出しているところがあるということだ。

 例えば、新日本プロレスは、観戦マナーを啓発するための動画の中で、会場内で動画撮影・録音する行為を「肖像権・著作権の侵害」であると説明し、撮影した動画をインターネット上にアップロードする行為を「著作権法違反」で「10年以下の懲役又は1,000万円以下の罰金」と明言している。

*1

 


www.youtube.com

 

 2020年にDDT経営統合し、新たに発足した株式会社CyberFightのブランドとなったプロレスリング・ノアは、同年7月に発表した観戦マナー動画で、動画撮影の禁止を呼びかけているが、この動画の中では、「無断で動画を撮影し、インターネットにアップロードする行為は違法」で「肖像権・著作権の侵害となり、法律違反での罰金が生じる場合がある」と説明している。*2


www.youtube.com

 

 プロレスの試合は動画撮影NG。

 その主張自体はコンテンツを守る上で必要なものだろう。新日本プロレスプロレスリング・ノアは、有料会員向けに試合映像の動画配信を行っているわけで、観客が撮影した映像が無断でネット上に配布されることを禁じたいと考えるのは当然である。

 だがそれとは別に、動画の撮影や無断アップロードは著作権の侵害になる、という説明に対しては、私は引っ掛かりを覚えるのだ。

 その引っ掛かりとは、一言で説明すれば次のようなものになる。

 プロレスの試合は果たして著作権法によって保護される対象なのか?

 というのも、後述する通り、一般的にスポーツの試合というものは著作権法によって保護されないからである。

 この記事では、プロレスと著作権の関係について、検討してみたいと思う。

 なお、あらかじめて断っておくが、この文章を書いている私は、一介のプロレスファンに過ぎず、弁護士や法学者ではない。関連文献を調査し、できる限り正確な情報を書いたつもりではあるが、もしも間違った記述などがあれば、指摘していただきたい。

 また、この記事はその性質上、プロレスのショー的な側面……要するに試合に「ストーリー」があること……を前提とした記述も多く含まれている。そのような記述はどうしても野暮になるし、人によっては不快であろう。

 その点についてご理解の上、続きを読んでいただきたい。

 

 

 

著作権法における「著作物」や「実演家」とは何か?

 本題に入る前に、著作権法の基本的な知識を共有しておきたい。

 著作権法では「著作物」「著作者」「実演」「実演家」という概念が登場するが、それらは著作権法の条文の中では次のように定義されている。

著作権法第二条 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
一 著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。
二 著作者 著作物を創作する者をいう。
三 実演 著作物を、演劇的に演じ、舞い、演奏し、歌い、口演し、朗詠し、又はその他の方法により演ずること(これらに類する行為で、著作物を演じないが芸能的な性質を有するものを含む。)をいう。
四 実演家 俳優、舞踊家演奏家、歌手その他実演を行う者及び実演を指揮し、又は演出する者をいう。

elaws.e-gov.go.jp

 要するに、ある創作物を創作した人が著作者で、その著作物を演技したり歌っている人が実演家である。日本の著作権法では、著作者も実演家も保護の対象であるが、保護される権利の範囲は基本的に異なる。


 たとえば、Adoさんが歌っている『うっせぇわ』という曲がある。

 この曲の「著作者」は誰だろうか? Adoさん……ではない。

 『うっせぇわ』の作詞作曲はsyudouさんなので、著作権法上、著作者はsyudouさんである。Adoさんは「うっせぇわ」の実演家であって、著作者ではない。


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 もしも私がこの『うっせぇわ』を完全に模倣した曲を作って、自分で歌って演奏し、オリジナル曲と偽って販売したとしよう。この場合、私はsyudouさんの著作権を侵害していることになるが、Adoさんの著作権を侵害しているわけではない、ということになる。
 一方、Adoさんの歌っている『うっせぇわ』の音源を、Adoさんにもsyudouさんにも無断で、そのまま販売して商売をした場合、これはsyudouさんの著作権を侵害し、なおかつAdoさんの実演家としての権利も侵害していることになる。*3

 著作者と実演家の違いを知る上で、わかりやすい例は、いわゆる「おふくろさん騒動」であろう。実演家(森進一氏)が楽曲「おふくろさん」の歌詞を改変したことについて、著作者(作詞者)である川内康範氏が激怒、同曲の歌唱を禁止したこの事件は、著作権法の上では実演家による著作権(同一性保持権)の侵害として扱われる。


 ちなみに、特に補足をせずに「著作権」といった場合は、普通は著作者の権利だけを指し、実演家やレコード会社の権利は「著作隣接権」と呼ばれる。音楽の著作権を管理する団体「JASRAC」は、著作者の権利を保護する団体であり、著作隣接権を管理する団体ではない。

 しかし、ややこしいことに著作権著作隣接権は、基本的には異なる権利であるが、一方でどちらも著作権法によって保護されていることから、著作者の権利と著作隣接権を併せて「著作権」と呼ぶ場合もある。例えば、JASRACは「著作権法上、著作者の財産権としての権利を「著作権」と言いますが、一般的には、著作者人格権も含めた著作者の権利全体や、著作隣接権も含めた著作権法上の権利全体を指して「著作権」と言う場合もあります」と説明している。

参考:https://www.jasrac.or.jp/copyright/outline/

 

 以上のことを前提にして、プロレスに話を戻そう。

 新日本プロレスをはじめとするプロレス団体は、プロレスの試合を無断撮影することは著作権の侵害と言っているわけだが、著作権という言葉が指し示す範囲によって、2通りの解釈が可能である。

 一つは、プロレスの試合そのものが著作物であり、その試合を作り上げているプロレスラーや団体は著作物に対する権利=狭義の著作権を有している、という解釈である。この主張が成立する場合、試合を実際に行っているプロレスラーには自然と実演家としての権利も認められることになる。

 そしてもう一つは、プロレスラーは著作権法でいうところの実演家であり、実演家として著作隣接権(広義の著作権)を持っているという解釈である。後に詳しく述べるが、この解釈の場合は、必ずしもプロレスの試合が著作物として認められる必要はない。

 まずは前者の解釈について、検討を加えていこう。果たしてプロレスの試合は著作物なのだろうか?

 

スポーツは著作物ではない

 プロレスラーやプロレス団体が狭義の著作権を主張するためには、プロレスの試合が「著作物」である必要がある。しかし、一般に、スポーツは創作性がないので、著作物ではないとされている。

参考:著作権なるほど質問箱

 日本シリーズで江夏が投げた21球がいかにドラマティックであろうと、そのプレイは単に勝負に勝つために行った結果であって「思想や感情を創作的に表現したもの」ではないので、そのプレイ自体は著作物として保護されない。野村克也監督の試合は彼の野球哲学が反映されたものだったかもしれないが、その試合一つ一つが野村監督の著作物であるということはできないのである。
 スポーツは普通、芸能的な性質を有しているわけでもない。だから、試合を実践するスポーツ選手もまた、実演家ではない。
 ちなみに、フィギアスケートや新体操のように、振り付けの要素があり、芸術性を競い合うようなスポーツについては、著作権法の保護を受けるという説と、受けないという説の両方があるようだ。*4

 それでは、普通スポーツが著作権法の保護を受けないからといって、プロのスポーツ選手の試合映像を勝手に撮影して、インターネット上にアップロードしてよいかというと、そういうわけではない。プロスポーツ選手には著作権や実演かの権利はないが、肖像権やパブリシティ権があるためである。
 肖像権とは、自分の顔が無断で写真や映像、絵画にされ、使用されない権利である。
 パブリシティ権とは、有名人が自分の顔写真や氏名などが持つ商業的な価値を独占する権利のことだ。
 有名人でない人間にとって、顔や氏名を雑誌に無断で掲載されたり、インターネット上に晒されたりすることは、おおむねプライバシーの(すなわち人格的な)問題になる。一方、有名人の場合は、なにしろ有名なので顔や名前を晒されても、それだけでプライバシーの侵害にはなりづらい。しかし、彼らの顔や名前はそれ単独で商業的な価値を持っている。有名人の顔写真を他人が無断で使用できてしまうと、当の有名人にとっては商売の機会が棄損されてしまうことになる。パブリシティ権はその有名人の顔や名前が持つ経済的価値を保護するための権利で、自分の顔や名前がどのように使用されるかを制約はあるがコントロールできるというものである。
 当然、スポーツ選手も有名人であるから、彼らの顔や名前、あるいは試合には商業的な価値がある。その試合映像を無断で撮影され、ネット上にアップロードされて、例えば広告収入を目的としたアクセス数稼ぎなどに利されることは、パブリシティ権の侵害となり、損害賠償の対象となる可能性がある。

 また、スポーツ団体やテレビ局が正規で試合映像を作成して販売したり放映している場合、無断で撮影されてネット上にアップされた動画は正規の商品の流通を妨げる一種のデッドコピー(模倣品)とみなされ、不正競争防止法の適用を受ける可能性もある。
 ここで注意してほしいのはパブリシティ権や肖像権というのは、著作権とは異なる性質の権利であるということだ。

 著作権著作権法によって保護されており、侵害した場合は民事的な損害賠償のほか、刑事罰の対象にもなりえる。ただし、著作権法が保護するのはあくまで著作権著作隣接権を有する人であり、「著作物」や「実演」の存在が不可欠である。

 一方、肖像権やパブリシティ権は、保護にあたって「著作物」や「実演」の存在は必要としないが、明確にこれを規定した法律がなく、基本的には侵害行為の有無やその軽重については、民事裁判によって争われる。
 たとえば野球の試合(著作物でない)を無断で録画し、これをインターネット上にアップロードしたりソフト化して販売する行為は、肖像権・パブリシティ権の侵害になり得るが、映画館で「がんばれベアーズ」(著作物)を隠し撮りして無断でアップロードしたり販売する行為は著作権法違反となり、法律上は異なった扱いをうけるのである。

 なお、スポーツの試合の映像であっても、自分で撮影した映像でない場は(たとえばテレビ局が撮影したスポーツ中継だとか、スポーツ団体が撮影した記録用映像を無断で複製したり、インターネットにアップロードした場合については)普通に著作権法の適用を受ける。試合は著作物ではないが、試合を記録した映像は著作物だからだ。この試合映像の「著作者」は映像を録画したり編集したりした者(テレビ局やスポーツ団体)になる。実際に試合をして被写体となっている選手は、著作者や実演家として扱われるわけではない。

 プロレスについて野球やボクシングのようなスポーツと同じように考えた場合、その試合を無断撮影する行為について、著作権の侵害を認めることはできない。プロレスの試合も、ほかのスポーツがそうであるように、「思想又は感情を創作的に表現したもの」ではないので、そもそも著作権法の守備範囲ではない、ということになるからだ。
 もちろん、プロレスの試合を無断で撮影してインターネット上にアップロードする行為が、肖像権やパブリシティ権の侵害であることは間違いない。

 プロレス団体は、自前で有料会員向けの動画配信サービスを持っていたり、サムライTVのようなプロレス専門チャンネルに映像を提供したり、試合映像でDVDを作って販売したりしているわけで、試合の映像を第三者に無料で配信されたりすることが経済的損失に繋がることも、十分考えられるだろう。

 しかし、繰り返しになるが、肖像権やパブリシティ権の侵害は著作権の侵害とは根本的に異なる種類の権利侵害である。プロレスが純粋な競技スポーツである場合は、無断撮影しても「著作権の侵害」にはならない、と言うことになる。

 

プロレスの試合が著作物と認められるためには創作性の是認が必要

 それでは、プロレスの無断撮影やそのアップロードは著作権法違反であるという新日本プロレスなどの説明は誤りなのだろうか?
 そう簡単に言い切れないのがプロレスの難しいところである。

 というのも、公然の秘密として、プロレスには俗にブックなどと呼ばれる筋書きが存在するためである。

 プロレスは真剣勝負のように見せかけたショーであり、試合が始まる前からその勝敗は決まっている、というのはプロレスをまったく見たことがない人でも、もしかしたら聞いたことがあるかもしれない。それはボクシングやムエタイのような他の格闘技とは異なる、プロレスをプロレスたらしめる最大の特徴である。

 プロレスのブックは、基本的に表に出てくるものではないので、それが具体的にどのようなものなのか関係者以外が知ることは困難である。

 団体や選手、大会の規模によっても大きく異なり、試合の勝敗だけ取り決めされている場合もあれば、事細かに試合の流れが設定される場合もあるという。ブックと言っても、映画の脚本のようなしっかりしたものがあるわけではなく、選手やレフェリー、マッチメイカーが口頭で打ち合わせをして決める場合が多いらしい。*5

 創作的なあらすじがあるとすれば、プロレスの試合が著作物であるとみなすこと、つまり著作権法の保護対象である可能性が生まれる。

 問題は、プロレスに筋書きがあるということを、日本の多くの団体は公式に認めていないということだ。
 日本のプロレスの歴史においては、たとえばタイガーマスク佐山サトルや、新日本プロレスの元レフェリー・ミスター高橋のようにプロレスに台本があることを暴露した関係者はたしかに存在する。DDTマッスル坂井*6が主催する「マッスル」のように、台本の存在を前提とした興行も存在する。だが、これらの例はあくまで例外的なものだ。
 プロレス団体がストーリーの存在をオフィシャルに認めることは基本的にない。プロレスの関連書籍のなかで非公式に語られたり、ファンがブックの存在を前提に興行の内容を評価したりすることはあるが、それらの大半は外部の人間が勝手に言っているに過ぎない。
 マンガや小説、テレビドラマ(これらはすべて著作権法上の著作物としてみなされる)などは「この物語はフィクションです」と頻繁に断りをいれるが、プロレスの試合や興行で「この試合はフィクションです」などとリングアナウンサーが言及することは、普通はありえない。

 プロレス団体が、プロレスの試合を筋書きなしの真剣勝負だと主張しつつ、著作権法の適用を主張することは、矛盾が生じる。

 逆に言えば、プロレス団体がプロレスの試合について著作権を主張している現状は、実は間接的にではあるが、プロレスの創作性を認めているということでもある。

 野暮な指摘かもしれないが、理屈の上でそう言うことになる。

 

プロレスの創作性を認めずに無断撮影を禁止する

 少し話が逸れるが、プロレスの試合を台本ややらせなどない真剣勝負であると主張しつつ、観客が無断で試合撮影したり、その映像をネットにアップすることを禁止することは可能であろうか? 

 先にも書いたとおり、プロスポーツ選手のような有名人には肖像権・パブリシティ権があるので、著作権法を持ち出さなくても、損害賠償請求をすることは可能である。

 また、団体の観戦規則や各会場の利用規則によって映像の撮影を禁止するという方法もある。実際、大日本プロレスなどは著作権を持ち出さずに映像の撮影やそれをネット上にアップロードする行為を禁止している。

ご観戦されるお客様へお願い | 大日本プロレス official website

 著作権法を持ち出しながら、プロレスの試合が著作物だと主張していない例も存在する。スターダムは試合の無断撮影は禁止し、無断アップロードは法律違反(その法律の具体的な内容は明示していない)とする一方で、自社の製作コンテンツである「スターダムワールド」の配信映像の無断転載に限って「著作権法違反」と指摘している。

参考:【お願いとご案内】ご観戦マナーに関しまして – スターダム✪STARDOM 

(リンク先の動画で試合映像の無断アップロードに関する言及がある)

  演劇性のないスポーツの場合も、それを記録した映像作品には著作物と認められるので、スターダムの説明は、プロレスの試合に創作性があってもなくても問題なく成立する。*7

  プロレスの試合についてわざわざ著作物性を認めずとも、無断撮影を禁止できることは、指摘しておきたい。

 

 創作性を認めても、全ての試合が著作物になるわけではない

 先ほどから書いているように、プロレス団体がプロレスの試合の著作権を主張するためにはプロレスの試合に創作性が含まれることを認めねばならない。

 しかし、たとえ創作性を認めたとしても、全てのプロレスの試合が直ちに「著作物」になるかというと、それは少し怪しいように思う。

 というのも、プロレスの試合は、基本的に既存の技の組み合わせによって展開される物だからからだ。

 プロレスの試合が著作物として認められる場合は、おそらく著作権法第十条の三で例示されている「舞踏又は無言劇の著作物」なのだが、この舞踏が著作物として認められるためには、一定以上の独自性・創作性があることが必要であるという判例が存在するのである。

 例えば、平成21年8月28日に東京地裁で判決が下された出版差し止め請求事件を見てみよう。童謡の歌詞や振り付けを集めた書籍を発行した出版社に対し、事前に類似する出版物を発行していた出版社が著作権の侵害を訴えた事件である。

裁判例結果詳細 | 裁判所 - Courts in Japan

 この裁判において、童謡「キラキラぼし」で手をひらひら動かすような誰でも思いつくような簡易な動作には創作性がなく、著作物でないとみなされた。

 また、平成24年に判決が下された、映画「Shall we ダンス?」に登場した振り付けをめぐる裁判でも、社交ダンスの振り付けが著作物であると認められるためには、簡単なステップの組み合わせだけではなく、相応の独創性を有していることが必要であるとして、判決文では次のような指摘がなされた。

既存のステップの組合せを基本とする社交ダンスの振り付けが著作物に該当するというためには,それが単なる既存のステップの組合せにとどまらない顕著な特徴を有するといった独創性を備えることが必要であると解するのが相当である。なぜなら,社交ダンスは,それそれ既存のステップを適宜自由に組み合わせて踊られることが前提とされているものであり,競技者のみならず一般の愛好家にも広く踊られていることにかんがみると,振り付けについての独創性を緩和し,組合せに何らかの特徴があれば著作物性が認められるとすると,わずかな差異を有するにすぎない無数の振り付けについて著作権が成立し,特定の者の独占が許されることになる結果,振り付けの自由度が過度に制約されることになりかねないからである。このことは,既存のステップの組合せに加えて,アレンジを加えたステップや,既存のステップにはない新たなステップや身体の動きを組み合わせた場合であっても同様であるというべきである。

(平成24年2月28日 損害賠償請求事件 東京裁判所判決)

裁判例結果詳細 | 裁判所 - Courts in Japan

 上にあげた二つの例でわかるように、誰でも思いつくような単純な動きであったり、既存の基本的な動きを組み合わせただけでは、著作権は成立しない。もし、それらに著作権を認めてしまうと、基本的な動作が著作権を持つ者によって独占されてしまい、後継の創作に大幅な制約が課されてしまうからだ。
 プロレスの試合に話を戻すと、チョップやキック、バックドロップなどの技は、各プロレスラーが独自に作り出したものではなく昔からあるものなので、それ単独が著作物ということはできないだろう。ピープルズ・エルボー*8くらい独創的で複雑な動きだと、もしかしたら単独で著作物として認められるかもしれないが、大半の技は著作物にならないと考えるのが妥当だろう。

 そうなると、プロレスの試合は基本的に著作物ではない複数の動きを組み合わせによって作られるものということになるわけだが、前述の「Shall we ダンス?」振り付け事件の判例に照らし合わせれば、基本的な既存の動きの組み合わせただけの演技を、著作物と認めて保護してしまうと、他のレスラーがそれを使用して試合を組み立てることを著しく阻害することにつながりかねないので、著作物として保護されないということになる。

 そうなると、たとえプロレスの創作性を認めたとしても、試合を著作物と認定することには、一定以上の工夫が必要だと思われる。

 おそらく新人同士の試合のように、基本的な技の出し合いを繰り返して、ボストンクラブ*9で決着、というような試合は、著作物とは認められないかと思う。

 リコシェvsオスプレイ*10のように、奇想天外な動きを連続させる試合ならば、著作物として認められる可能性があるように思うが、しかしどんな試合が創造性があってどんな試合なら創造性がないと言えるのか、その線引きをすることは容易ではない。


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 なお、著作物として認められる可能性があるのは、選手がどのように動くかという試合の構成(ダンスで言えば振り付け、演劇で言えば脚本にあたる部分)であって、選手たちが観客の目の前で実際にしている試合ではない点については注意してほしい。選手たちが実際に行っている試合は、試合の構成を再現した「実演」とみなされる。*11

 ちなみに、マイクパフォーマンスやバックステージコメント、実況や解説などについては、一定の長さと創作性があれば、演説などと同じく言語の著作物として扱われるだろうと思われる。*12

 また、「マッスル」のように明らかにきっちりとした台本が用意された興行については、ほとんど舞台芝居と同じであるから、少なくともその台本については、言語の著作物として扱っても問題ないと思われる。

 

セメントマッチをどう扱うか?

 プロレスの試合が著作物になるかどうかを考える上で、事前の打ち合わせや台本通りに行われなかった試合をどう扱うか、と言う問題も存在する。

 プロレスの試合には、「ガチンコ」「シュート」「ピストル」「セメント」などと呼ばれるものが存在する。何らかの事情により、プロレスのリング上で脚本なしの真剣勝負が行われることを指し、有名なものは、1986年4月29日のアンドレ・ザ・ジャイアントvs前田日明戦や、1999年1月4日東京ドーム大会における橋本真也VS小川直也戦だろうか。全日本女子プロレスでは、その経営方針から、意図的にケンカマッチになるようなカードが組まれていたという。*13
 プロレスの試合を、筋書きがあることを理由に著作物とみなすならば、当然「ガチンコ」や「セメント」は、著作物とみなすことはできないということになる。それはボクシングや総合格闘技のような台本のない格闘技の試合か、あるいは突発的に起こった喧嘩と同じものとして扱われるだろう。

 虚構と現実の境界線を考え始めるとキリがない。

 当初は脚本通り進みながら、試合中のアクシデントにより途中からガチンコに切り替わった試合の場合、どこからどこまでが著作物と言えるだろうか? 片方の選手が一方的にブックを破り、もう片方がブックを守ろうとした場合の扱いはどうなるのか? 試合の結末だけ猪木のアドリブで変更になってしまった猪木舌出失神事件*14のような例はどうなるだろうか?
 プロレスの試合の創作性にはグラデーションがあり、それら全てを著作物と認定することは、簡単ではない

 

実演家としてのプロレスラー

 ここまでで検討してきた通り、プロレスの試合が著作物として認められるには、一定の壁が存在する。

 今度はプロレスラーが実演家とみなされる可能性について検討してみよう。

 改めて記すが、実演家の権利(著作隣接権)は、著作権法の中で規定されている権利であるが、著作権とは厳密には異なる権利であり、保護される対象や権利の内容、保護期間も違っている。しかし、文脈によっては著作権著作隣接権のふたつをあわせて「著作権」と称する場合もある。

 プロレスの試合を撮影することは著作権の侵害という主張において使われている「著作権」という言葉が、著作隣接権を含めた広義の著作権であるとすれば、著作物として認められないような試合についても成立する可能性がある。
 最初に触れた定義のとおり、著作権法における実演とは、「著作物を、演劇的に演じ、舞い、演奏し、歌い、口演し、朗詠し、又はその他の方法により演ずること(これらに類する行為で、著作物を演じないが芸能的な性質を有するものを含む。)をいう。」なので、実演を行うために著作物の存在は必須要件ではない。
 例えば、手品師や奇術師の場合は著作物を演じる者ではないが、芸能的な要素を有するため、実演家とみなされる。*15実演家は、自らのパフォーマンス(実演)を録音・録画されたり、録音・録画を配布する権利について独占し、他人が無断でそれらの行為を行うことは権利侵害となる。

 一方、スポーツ選手は一般的には実演家とはみなされないということは、前に書いたとおりである。だから、スポーツの試合映像を無断撮影しても、実演家の権利を侵害していることにはならない。

 ただし、フィギュアスケートや新体操のように、ダンスの要素を含み、芸術的な美しさを競うスポーツについては、それらを実演とみなすべきだとする説と、普通のスポーツと同じように扱うべきであるという説の二つが存在するが、確定的な判決があるわけでもなく、議論の余地がある。フィギュアスケートについては、競技性のないエキシビジョンやアイスショーは実演として保護されるという見解が存在することも確かである。
 プロレスの場合、最初から勝敗は決まっているので、競技としての性質は薄く、演劇的な要素も多分にあるので、芸能的な性質はそれなりに強い文化だといっても問題ないように思う。

 私見ではあるが、プロレス団体がプロレスの創作性を認めるのならば、プロレスラーが実演家として認められる可能性は十分あるのではないかと思う。*16
 プロレスラーが実演家として認められる場合には、プロレスの試合を無断で撮影したり、その映像をネット上にアップロードする行為は、著作隣接権を侵害しているといえるだろう。著作隣接権を侵害した場合も、著作権を侵害した場合と同じように著作権法によって、「10年以下の懲役又は1,000万円以下の罰金」が課されることがある。

 各プロレス団体が行なっている、「試合を無断撮影することは著作権の侵害」と言う説明の「著作権」が、「著作隣接権」を含んだ広義の「著作権」のことを指しているのであれば、その侵害をもってプロレスの試合を無断撮影することを「著作権の侵害」と言い切ることは可能かもしれない。

 ただし、プロレスラーが実演家であると認められた確定的な判決は見つからなかったことから、あくまで可能性に留まることは申し添えておきたい。

まとめ


 これまで書いてきたことをまとめると、概ね次のようになる。

  1. プロレスの試合について、著作権法の適用を主張する場合は、主張する側は、まずプロレスの創作性を認める必要がある。
  2. プロレスの創作性を認めたとしても、試合そのものが著作物として認められるには一定のハードルがあり、基本的な技だけで組み立てられた試合は著作物として認められない可能性が高い。
  3. プロレスラーを俳優や舞踏家のような実演家とみなした場合は、著作隣接権(実演家の権利)が認められ、著作権法の保護を受ける可能性は十分にある。これをもって著作権著作隣接権)の侵害を訴えることはできるかもしれない。

 私が導き出したのはこのような結論である。

 いくつかのプロレス団体はプロレスの無断撮影を著作権法違反というが、それが意味するところは決して単純ではない。

 このようなことになるのは、プロレスというスポーツが、台本のないスポーツとも、台本のある演劇とも異なる、特殊な立ち位置にあるためだ。

 念のために改めて言わせてもらうが、私は弁護士でも学者でもない。できる限り正確に書いたつもりではあるが、著作権法の専門家は別の説明をするかもしれないし、実際に裁判が行われたら全く異なる判決が導き出される可能性も十分にあるので、その点はご了承いただきたい。

 また、例えプロレスが著作権法の保護を受けなくとも、プロレスの試合を無断撮影をしてはいけない、ということは改めて強調しておこう。

 

 

 それではまたの機会に。

 

 

最終更新日2021年10月15日

 

*1:新日本プロレスの場合は、「興行に係る著作権」を主張しているページも存在する。これについては試合等自体の著作権だけではなく、入場曲や煽りVTR等の著作権全般を言っていると解釈するのが妥当であろう。

参考:著作権について | 新日本プロレスリング

*2:なお、プロレスリング・ノアDDTとの合同興行であるサイバーファイトフェスティバルにおいては動画撮影を許可している。

*3:さらに言えばこれまた著作権法によって保護されているレコード製作者(録音者)等の権利を侵害している。また、著作者および実演家の権利のうち、著作人格権や実演人格権を除くものは契約によって譲渡可能なので、syudouさんやadoさんがレコード会社等に権利を譲渡している場合は、譲渡先の権利を侵害していることになる。

*4:参考:

www.biz-shikaku.com

 一方、『エンタテインメント法実務』(骨董通り法律事務所編、弘文堂刊、2021年)p 447によれば、「演技の美しさを競うスポーツについては、振付師には著作権が、演技者に著作隣接権(実演家の権利)が発生しうる」とのことである。

著作権法 第3版』(中山信弘著、有斐閣、2021年)p100では、フィギュアスケートのように振り付けの要素があるスポーツは著作物として扱われないと一般的に解されていると紹介しつつ、フィギュアスケート等は「振付師がいて、その美的感覚により生み出されるものであり、理論的にはその著作物性を否定することは難しいかもしれない」とも書いている。なお、同書ではスポーツに著作物性を見出す場合も、他の選手の演技を阻害しない程度に留める必要があることから、その保護範囲は狭いものになるであろうと記している。

*5:新日本プロレスの元レフェリーであるミスター高橋は、著書の中でプロレスの試合の勝敗や内容がどのように決められるのかについて、以下のように記している。

 

一日の全試合について、マッチメイカーはカード編成と勝ち負けを決める。どこまで細かく指示するかはケース・バイ・ケースだが、この技で決めろ……とフィニッシュまで独断で決めてしまうこともある。

ミスター高橋. 流血の魔術 最強の演技 すべてのプロレスはショーである (講談社+α文庫) (Japanese Edition) (Kindle の位置No.138-140). Kindle 版.

 

 

初対戦で重要な試合である場合や、デスマッチ形式の特殊な試合をするときなど、試合がスムーズに進むかどうか不安なときは、闘う者同士が直接打ち合わせをした。猪木さんがひそかに外国人選手の宿舎を訪ね、私の部屋で対戦相手を含めた三人で打ち合わせをしたこともある。

ミスター高橋. 流血の魔術 最強の演技 すべてのプロレスはショーである (講談社+α文庫) (Japanese Edition) (Kindle の位置No.147-149). Kindle 版.

*6:DDT所属のプロレスラー。実家の坂井精機株式会社を継ぐために2010年に引退したが、マスクマン、スーパー・ササダンゴ・マシンとして復活。試合前にパワーポイントを使用して観客に試合について解説する「煽りパワポ」などで知られる。

*7:総合格闘技団体UFCが作成した映像を、インターネット上に無断アップロードしたことについて著作権侵害を認めた判例は存在する。

裁判例結果詳細 | 裁判所 - Courts in Japan

*8:ザ・ロックドウェイン・ジョンソン)のフィニッシュ・ムーブ。仰向けに倒れた対戦相手の上を跳ねるように往復した後、急停止して相手の腹に肘鉄を食らわせるという技

*9:逆エビ固め。プロレスの基本技の一つで、相手の腰や背中にダメージを与える。難易度が低いが威力が高いため、新人レスラーのフィニッシュホールドとして多用される。

*10:2016年5月27日後楽園ホールなどで行われた伝説的な対戦カード。対戦者二名が息を合わせるかのようにアクロバットな動きを連発する様子は賛否両論を巻き起こした。

*11:著作権者は、試合の構成を考えた者になる。プロレスの試合の場合、ダンスの振り付けのように試合運びの細かい設定がある場合はその設定を考えた人が著作権者になるが、試合の大半が選手のアドリブによって作られるような場合は選手が著作権者となると考えられる。

*12:あまりに短いコメントは著作物と認められない可能性もある。「時は来た、それだけだ」(1990年2月10日、新日本プロレス東京ドーム大会における橋本真也のコメント)や「生きてます、以上」(2017年8月13日、新日本プロレス両国大会における柴田勝頼選手のコメント)などは、その短さ故に著作物として認められない可能性がある。

*13:例えばダンプ松本は社長やマネージャーから試合前に長与千種が自分の悪口を言っていたと聞かされて喧嘩になるように仕向けていたと証言している『吉田豪の"最狂"全女伝説』(吉田豪著、白夜書房刊、2017年)p36

*14:第一回IWGPトーナメントにおいて、ハルク・ホーガンのアックスボンバーを受けたアントニオ猪木がリング下に落下、そのまま昏倒し、ハルク・ホーガンがそのまま第一回IWGP王者になった事件。事件発生直後から、猪木の自作自演説が流れており、当時新日本プロレスの副社長であった坂口征二は「人間不信」の書き置きを残して数日間失踪したという。新日本プロレスのレフェリーであったミスター高橋は、著書のなかで、この試合は当初は猪木が勝つ予定であったが、猪木が勝手に失神の演技をして結末を変えてしまったという旨のことを書いている。

*15:著作権法 第3版』(中山信弘著、有斐閣、2021年)p 663

*16:ちなみに、プロレスが著作権法で定める「実演」かどうかが争われた裁判は一応存在する。

www.courts.go.jp

 これは全日本女子プロレス試合映像の放映権をめぐる裁判であり、詳細については省略するが、全日本女子プロレスの債権者は「プロレス興行における試合は,あらかじめ決められたシナリオ(台本)のある「実演」(著作権法2条1項3号)に当たると解すべきである」と主張しているのに対し、被告である放送局側は「本件各試合は,「著作物」(著作権法2条1項1号)を演じるものではなく, 著作物を演じる行為に類する芸能的性質を有するものでもないから, 実演に当たらない。なお,仮に本件各試合において大まかな試合展開 や,誰を勝者にするかというようなことについて事前に打合せがあっ たとしても,それらは単なるアイデアにすぎないし,創作性も認めら れないから,著作物に該当しないことは明らかである。」と主張した。プロレスというスポーツを考える上で、メディアがプロレスの創作性や著作物性を否定するのは極めて興味深い現象といえよう。なお、当該裁判については、別の争点によって決着しており、裁判所はプロレスの試合が実演に当たるかどうかについて、判断を下さなかった。