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愛と怒りの『ぼくは麻理のなか』感想(ネタバレあり)

 長い間、読もうと思っていたが、なんだかんだで読んでいなかったTS漫画『ぼくは麻理のなか』をようやく読破した。

 TSF好きとしては、少々評価に困る作品であった。

 たしかに、TSFとして優れた部分はあるのだが、同時にTSFとして、とある重大な、看過できない欠点も抱えているのである。

 以下、僕の個人的な感想を記しておきたい。

 ただし、この作品を語るにあたって、ラストの展開についてはどうしても触れざるをえなかったので、本記事には盛大なネタバレを含んでいる。『ぼくは麻理のなか』を未読の方はご注意されたい。

 あと「オナニー」とか「レイプ」だとかいった単語を相当な回数使っているので、そっち方面の話題がだめな人も注意して欲しい。

 

 

 

 友達が一人もいない大学生の≪ぼく≫の唯一の楽しみは、コンビニで見かけた名も知らぬ女子高生を定期的に尾行すること。いつものようにその娘を尾行していたら突然記憶が飛び、≪ぼく≫はその娘のベッドで寝ていて、≪ぼく≫はその娘になっていた。その娘は≪麻理≫という名だった――。

株式会社双葉社 | ぼくは麻理のなか 1(ボクハマリノナカ) | ISBN:978-4-575-84170-1より引用)

 ある朝、目を覚ました男が、自分が可憐な女の子に変身していることを発見する、というのは、TSFとして良く言えば王道的、悪く言えば陳腐な光景であるが、『ぼくは麻理のなか』も、そんなありふれた展開によって、幕を開ける。

 しかし、王道的なスタートを切ったからと言って、必ずしも王道をたどるとは限らない。

 『ぼくは麻理のなか』の場合も、読めば読むほど、不穏な空気が漂いまくり、TSFとしてかなり異質な方向へと突き進んでいくことになる。

 

 まず、主人公・小森の身に起こった性転換それ自体が、TSFとしてちょっと珍しいものである。

 主人公の小森は、序盤で自分の身に起こった現象を一種の入れ替わり現象であると考える。つまり、自分と女子高生吉崎麻理の心と体が入れ替わってしまったのであり、元の小森の体には吉崎麻理の精神が入っているのではないかと疑うわけである。

 しかし、実際には小森の身体の中には小森の精神が入っていて、麻理の中に入っている小森とは別に、勝手に生活している。

 小森の身に起こったのは「入れ替わり」*1でも「憑依」*2のように見えて、どちらでもない…。

 既存のTSFに慣れ親しんだ読者は、この時点で『ぼくは麻理のなか』がただのTSFでないことを悟り、混乱し、興味を掻き立てられることになる。

 小森がどうして性転換してしまったかという疑問は、サスペンス要素として、物語全体をまとめ上げ、推進する役割を担っている。(もっとも、このことは後述する欠点に大きく関わることになるのだが…)

 

 美少女になった小森が遭遇する受難も、ぎょっとするようなものである。

 『バランスポリシー』記事で書いたことを反復するが、TSFというのは根本的な部分で暴力的なジャンルである。多くのTSFにおいて、その暴力性というものはコメディチックな描写や萌え的な描写によって隠蔽されるか、もしくは読者のエロスを喚起するスパイスとして消費される。僕が『バランスポリシー』を名作と評価するのは、その暴力性を純粋に暴力性として真正面から捉え、批判的に描ききっているからだ。

 『ぼくは麻理のなか』におけるTS描写も、『バランスポリシー』同様に、性転換というものの暴力性や残酷さを暴き立てている。ただし、『バランスポリシー』と比較して、かなり露悪的に、意地悪な方向で。

 『ぼくは麻理のなか』の主人公・小森は引きこもりの大学生で、友達は一人もおらず、毎日ひたすらゲームとオナニーばかりしているような男である。

 そんな小森が美少女の身体に入ったところで、たちどころにバラ色の人生を歩めるわけがない。

 実際にはその逆で、小森は麻理の家族や、友人の女子高生たちとまともなコミュニケーションをとることすらできず、気持ち悪がられたり、気が狂ったのではないかと心配されたりして、どんどん孤立していくことになる。

 この展開は非常に僕の心に突き刺さった。

 僕もTSFなどというものを愛好しているくらいだから、「美少女になりたい願望」みたいなものを、多少なりとも持っているわけである。

 もし自分が美少女に変身したら、あんなことをしたいとか、こんなことをしたいとかいった妄想を、したことがないと言えば嘘になる。

 しかし、もしも自分が、現在の精神のまま、可憐な美少女になったとしても、小森のように惨めな経験をするのが目に見えている。僕は女の子としての常識も、自然な立ち振る舞い方も、なにひとつ知らないのだから。

 映画『君の名は。』では、瀧が入れ替わり対象の少女である三葉に対して「俺に人生預けたほうがモテるんじゃね?」などと宣い、実際にモテていたようであるが、僕にはそんな芸当はとてもじゃないが真似出来ない。そんなことくらいは、わかっているつもりだ。

 わかっているつもりだが、同時に夢だって見たい。

 僕は美少女になりたいし、美少女になっておしゃれをしたり、他の女の子や男の子と、キラキラした楽しいコミュニケーションを図ったりしてみたいのである。

 『ぼくは麻理のなか』は、そんな心の底にある儚い願望を、せせら笑うように、容赦なく打ち砕いてくれる。

 美少女になった小森は、男性たちの気色悪い視線に晒され、同級生の女の子たちからやっかまれ、好きでもない男から無理やりキスされ、よく知りもしない他人の家庭問題に翻弄されるはめになる。

 まるで、美少女になったところで、お前は可愛く振る舞うことなんてできないし、美少女になったところで不愉快な目に遭うのが関の山だと、読者に語りかけているようである。

 このような描写を前に、僕のような人間は、ただ心をナイフで滅多刺しにされたような気分になって、立ち尽くすしかなかった。

 

 

 少し話題を変えるが、『ぼくは麻理のなか』の個人的イチオシシーンは、なんといっても第4巻のオナニーシーンである。

 これは、麻理の周囲を取り巻く人間関係の歪さを目の当たりにした小森が、誰も麻理のことなど考えていないこと、小森自身も本物の麻理を直視していないことを悟り、麻理を直視するために、鏡の前で裸になりオナニーを始めるというものだ。

 そもそも、TSFにおけるオナニーシーンは、僕がこの世界で最も好むものの一つである。今まで読んだ一般向けTS漫画のオナニーシーンの中で、一番好きなのは、『のぞむのぞみ』2巻で主人公・のぞむが、妹の服を着ながらオナニーをするシーンだ。

 

のぞむのぞみ (2) (TSコミックス)
 

 

 『のぞむのぞみ』の主人公であるのぞむは、女装癖のあるごく普通の少年だったのだが、ある時突然身体が女性化してしまう。女性になってから暫くの間は「絶対ヤバイ」と思ってオナニーをしていなかったのぞむだが、ふとしたはずみでオナニーをして以来、しばしば誘惑に負けてオナニーをするようになる。そんな彼が、ある時、妹の部屋で妹の服を着ながらオナニーをするのが、該当のシーンであり、のぞむが越えてはならない一線を自らの意志で越えてしまう、物語上重要な場面でもある。

 このオナニーが、いかに素晴らしいTSオナニーであったかについて、長々と詳細に語りたいような気もするが、多分ドン引きされるだけなので、とりあえず気になる人は『のぞむのぞみ』を読もうとだけ言っておきたい。非常に幸福な気持ちになれる。

 なんでこんな話をしたかというと、『ぼくは麻理のなか』4巻のオナニーシーンが、『のぞむのぞみ』で描かれるそれとは、全く正反対の方向性を持ったオナニーシーンだからである。

 実際に読んだ人はわかると思うが、『ぼくは麻理のなか』第4巻のオナニーシーンにおいて描かれるのは、ただ女子高生・麻理の身体に入った男子大学生・小森がオナニーするだけの映像ではない。

 小森に酷似した男性の影が、麻理の身体にまとわりつき、犯していくという幻影も、一緒に描かれるのである。

 この絵面からは、どうしても僕は「レイプ」という単語を連想してしまう。

 TSFにおけるオナニー、特に「入れ替わり」や「憑依」ものにおけるオナニーとは、他人(異性)の身体を操り、弄び、性的に辱める行為なわけで、どうしてもそこには「陵辱」という要素が宿ってしまうものだ。

 しかし、実際に行われていることは、直接的なレイプではなく、単なるオナニーにすぎないのだから、この「陵辱」という要素は、普通は影に隠れてしまい、読者が抱く罪悪感や嫌悪感も、通常のレイプシーンと比べれば格段に小さなものとなる。

 ところが、『ぼくは麻理のなか』におけるオナニーは、小森に酷似した影に麻理を犯させることによって、この上なく直接的に、TSオナニーの陵辱的性質を暴き出し、浮かび上がらせてしまうのである。

 僕が重要だと思ったのは、このオナニーシーンにおいて、小森という男性の精神が、麻理という女性の身体から完全に独立している点だ。

 どういうことかというと、先程挙げた『のぞむのぞみ』のオナニーシーンが典型例なのだが、通常のTSオナニーは、男女の境目が曖昧になり、混濁していくというところに魅力があるわけである。これは「変身」でも「憑依」でも「入れ替わり」でも、多くのTSオナニーが共通して保有している魅力だと思う。

 ところが、『ぼくは麻理のなか』のオナニーシーンは、小森の精神が、一個の活動体として麻理の身体を嬲っているわけであり、小森と麻理の間に、明確に男女の境界線を引いてしまっているわけである。

 小森を模した黒い影は麻理の身体に向かって「ぼくはきみだ」などと語りかけるのだが、その台詞は逆に小森と麻理が同化していないことを際立たせている。

 小森の精神は男の立場に立ちながら、麻理を犯しているわけで、そこに男女の境界が曖昧になるというTSオナニー特有の艶かしさは存在しない。そのことが余計に、このオナニーの陵辱色を強めることになっているのである。

 つまり、僕には『ぼくは麻理のなか』のオナニーが、男性の意志が主体となって行う、レイプそのものに見えるのである。

 普段の僕は、TSオナニーを見ても、キャッキャと喜ぶだけなのだが、『ぼくは麻理のなか』のTSオナニーに関しては、そんな無邪気な捉え方はとてもじゃないができなかった。

 ただ戦慄し、なんとも言えない居心地の悪さを覚えざるを得なかったのである。

 なんにせよ、TSオナニーの陵辱性をここまで直接的に描いてみせた作品は、少なくとも僕は見たことがない。それだけでこのオナニーシーンは賞賛すべきオナニーシーンだと言うことが出来よう。

 

 

 さて、ここまでTSFとしての『ぼくは麻理のなか』の良かった点についてつらつらと書いてきたが、ここで記事の冒頭で述べた、『ぼくは麻理のなか』の欠点について触れたいと思う。

 ここから先は本当に、容赦なく、核心部分に関する完璧なネタバレをするので、『僕は麻理のなか』を未見でネタバレされるのが嫌な人は、今すぐブラウザを閉じていただきたい。

 

 

 

 

 

 

 『ぼくは麻理のなか』のTSFとしての最大の欠点とは、すなわち、実はTSFではなかったことである。

 『ぼくは麻理のなか』の終盤において、麻理の中に入っていた「ぼく」こと小森功の人格は、ストレスに苛まれた女子高生・吉崎麻理が、現実の小森功を参考に作り上げたもう一つの人格であったことが判明する。「ぼく」が麻理の中に入っているということは、単なる麻理の妄想に過ぎなかったのである。

 

 

 ………………。

 えー、ちょっとここで、声を大にして、遺憾の意を表明したいと思う。

 まったくもって、がっかりだよ!!!!

 

 いや、僕は別に、妄想オチが逃げだとか、二重人格オチなんて卑怯だとか、そういうことを言いたいのではない。

 麻理の中の小森が、実は麻理自身がつくりだしたまやかしにすぎないことは、比較的早い段階から伏線がはられ、読者にほのめかされていたことではある。決して突飛で無茶苦茶な展開というわけではない。

 むしろ作品のメッセージ性を高めるためには、「ぼく」という自己認識が、作り物のまやかしであることは、必要不可欠なことであったのだろう。*3

 また、『ぼくは麻理のなか』の全体を要約すれば、麻理という女性が生み出した「ぼく」という男性人格が、なんだかんだあって、再び「麻理」という女性人格に統合されるという物語なわけで、精神的な意味での性転換もの=TSFであると擁護することも出来るかもしれない。

 

 しかし、しかしである。

 僕は肉体的に女体化した男の姿が見たくて、TSFを読んでいるのである。この一線だけは、どうしても譲ることはできない。

 「朝起きたら女の子になっていました」なんてシーンでスタートした漫画が、「女体化した男なんて最初からこの世にいませんでした。妄想でした」なんて展開をするなんて、そんなの、そんなの、いくらなんでもひどすぎるよ!!

 あんまりじゃないか!!! 泣いてやる!!!!

 

 

 

 一応、商品説明やあとがきにおいて、『ぼくは麻理のなか』がTSFであるということは一言も書いていない。(少なくとも僕の確認した限りは)

 むしろ1巻のあとがきで、「男である自分が女になりたい」という変身願望ではなく、「女として生まれ育ち、男として生まれ育ったのとは別の人生を送ってみたい」という人生やり直し願望のようなものを前提に作品が書かれていることを、著者である押見先生は表明している。

 とすれば、自分自身を男であると認識していた「ぼく」が、実は最初から女子高生・麻理だったという作品のオチは、当然迎えるべき結末であったとさえ言えるだろう。

 だから、本作が(肉体的な性転換を伴う)TSFであるということは、読者(と言うか僕)が勝手に想像し、勝手に期待していたことにすぎず、僕が感じている怒りも、まったく理不尽なものなのかもしれない。

 また、肉体的なTSにこだわって、作品の本質を捉えずに、自分の物差しを押し付けるという行為は、『ぼくは麻理のなか』作中で批判されるような、他人の表面的な部分しか見ようとせずに、自分のことばかり語る薄っぺらなコミュニケーションと、同一なのかもしれない。

 ――しかし、理不尽で薄っぺらいことは承知の上で、やっぱり僕は、一TSFファンとして、この怒りを抑えることが出来ないのである。

 

(2016/11/27 一部誤字脱字修正、および加筆修正)

*1:男女の心と身体が入れ替わる性転換を指す言葉。これを扱ったTSFとしては『おれがあいつであいつがおれで』『君の名は。』などが代表的

*2:幽体離脱などの方法によって男性または女性の精神が異性の体を乗っ取るタイプの性転換を指す言葉。陵辱色が強く、主にアダルト向け作品やホラー系の作品で用いられる。

*3:2016/11/27 加筆