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ペルソナ5、実質ステイサム映画説

 ペルソナ5、発売されましたね。

ペルソナ5 - PS4

ペルソナ5 - PS4

 

  僕もPS4本体ごと購入して、ガリガリとプレイしていて、第3ダンジョンをクリアしたところです。

 現在のところ、非常に楽しんでプレイしているのですが、ちょっと気になることが。

 ペルソナ5、第1ダンジョン周辺のストーリーが良く出来すぎているんです。

 公式の方でネタバレ禁止云々の告知が出ているので、あんまり詳しいことは書きませんが、第1ダンジョンに関わる話だけで、一つの物語としてある程度完成しちゃっていて、もうこの部分だけで傑作判定を下してもいいくらいです。

 ただ、この第1ダンジョンの完成度があまりに高かったために、第2・第3ダンジョンの時点で、すでに「蛇足感」というか「エクストラステージ感」みたいなものを覚えてしまって、この先ストーリーを進める上でだれてしまわないか、ちょっと不安に感じてしまっているのです。

 要するに贅沢な不安ってやつです。

 

 

 まあそれはそれとして。

 話を突然変えますが、『メカニック:ワールドミッション(以下、ワールドミッション)』を、9月24日、公開初日に見てきました。


映画『メカニック:ワールドミッション』特報

 事前情報通りというかなんというか、ひたすらステイサムが人を殴ったり殺したりしている映画でありました。

 痴話喧嘩の仲裁に行ってものすごいスピードで男を殺すステイサムとか、サメよけクリームを全身に塗りたくって崖から海へダイブするステイサムとか、銃は効かないが銛は効くステイサムとか、全編がアクションシーンとツッコミどころだけで構成されています。

 アクション映画としてみた場合、めちゃくちゃ面白い作品だったとは思うんですが、しかし困ったことにこの作品はステイサム映画であり、なおかつ『メカニック』の続編であって、そういう意味で、ちょっと問題があるんじゃないかな、と僕は感じました。

 僕がどうしてステイサム映画が好きかというと、まあステイサムという役者が好きだからなんですが、ではなんでセガールやらシュワちゃんやらロック様といった他のアクションスターと比べて、ステイサムが好きかと言えば、彼が他のアクションスターと違って、非常に「孤独」な役が似合うからなんですね。

 『ハミングバード』とか『SAFE』、『デスレース』あたりで顕著なんですが、ステイサムが演じる典型的なキャラクターって、めちゃくちゃ強いんですけど、社会の落伍者というか、決して成功していない、はみ出し者とでも呼ぶべき人間なんですよ。

 ステイサムは、そういう「強いんだけど、社会的には落ちぶれていて、孤独な男」みたいな役をやらせると、世界一ハマる役者であって、だからこそ超かっこいいのだと、僕は思っています。

 ステイサムって、頭髪が薄くてムキムキじゃないですか。そんで基本的に優しそうな顔なんだけど、笑顔があんまり似合わなくて、怒った顔がめちゃくちゃ怖い。

 そういう外見のおかげで、「若い頃に苦労したんだろうな」とか、「自分の肉体以外に頼るものがなかったんだろうな」とか、「笑顔の裏にはきっと暗い影が隠れているんだろうな」みたいなオーラをバリバリ放っているわけです。だから、ステイサムは孤独な役がよく似合う。

 チャック・ノリスとかブルース・リーも、たいがい孤独に見えますけど、ステイサムの孤独さとはちょっとベクトルが違う気がします。チャック・ノリスブルース・リーはどちらかと言うと、「強いがために孤独になってしまった」あるいは「強くなることにしか興味がなくて孤独になってしまった」ように見えます。つまり、強さが先にあって、孤独は強さの副産物なわけです。

 一方、ステイサムの場合はその反対で、最初から孤独であったり、社会から見放されていて、そういったハンディキャップを乗り越えるために強くなったような雰囲気をたたえているわけです。つまり、ステイサムの場合は孤独が先にあって、強さのほうが副産物であるように見える。

 二つの孤独はどちらも違った魅力を持っているわけですけど、僕は圧倒的にステイサムの孤独の方をカッコいいと思うわけです。

 もちろんステイサムは『ブリッツ』の警官みたいな凶暴なロクデナシとか、トランスポーターシリーズの運び屋みたいな出来る男を演じさせてもカッコいいんですが、しかしやっぱり孤独で、居場所のない男を演じているときのほうが、映えると思うんです。

 で、『メカニック:ワールドミッション』の前作である『メカニック』で、ステイサムが演じていたキャラクター、アーサービ・ショップは、間違いなく孤独な男でした。

 殺し屋という因果な商売に身をやつしていて、友人も家族もいなくて、自分の師匠を殺してしまって、そんな孤独な男が、師匠の一人息子を弟子にして、この息子もまたステイサムと同じく孤独であって……と、『メカニック』は徹頭徹尾、孤独な男の物語であり、だからこそ胸に響く傑作だったわけです。

 しかし、『ワールドミッション』の場合、この孤独要素がほとんど見当たらないんですね。

 アーサー・ビショップは、とりあえず目の前に転がっている問題を片付けるために、ひたすらアクションシーンを繰り返すだけ。ジェシカ・アルバ演じるジーナとすぐにラブラブになったりするから、まったく孤独な男に見えない。要するに、前作と比べて、アーサー・ビショップのキャラクターが大きく変わってしまっているんですね。

 だから、『メカニック』の続編として見て、僕はあんまり『ワールドミッション』を評価できませんでした。

 いや、ステイサムがひたすらアクションをしている映画なので、それだけで面白いことは面白いのですが…

 

 ところで、話をまたペルソナ5に戻しますが、僕がペルソナ5の第1ダンジョン周辺のストーリーを高く評価しているのも、多分ステイサム映画が好きなのと同じ理由なんじゃないかな、などと考えています。

 ペルソナ5の序盤のストーリーも、「社会的に虐げられ、孤独であった主人公たちが、同じく孤独であった仲間を見つけ、自分を虐げていた強者に反撃する」というものなのですが、これって『SAFE』とか『デスレース』とかいったステイサム映画と骨格が全く一緒で、多分僕はそういう物語が好きなわけです。

 反撃する直前までズタボロだった主人公が、攻勢に転じた途端に、ノリノリでスタイリッシュなアクションを決めるあたりも、ペルソナ5とステイサム映画で共通しています。

 なのでステイサム映画が好きな人はペルソナ5をやればいいし、ペルソナ5が好きな人はステイサム映画を見ればいいんじゃないでしょうか。