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バランスポリシー あるいはTSFが持つ暴力性に対する一考察

 

 お久しぶりです。はてなダイアリーからFC2に移動して、そのFC2も2年くらい放置した挙句、FC2ブログから商品紹介機能がなくなっていたことに絶望したために、はてなに出戻ってきました。

 

 ここ2年くらいぜんぜんブログを更新していなかったのは、単純に仕事が忙しかったとか、それなりに傷心するようなことが連続してあったとか、なんかめんどくさかったとか、そんな感じの理由です。あんまり詮索しないでください。

 以前のブログは一応残しておきます。誰も読まないだろうけど。

 

 まあそれはともかく、あんまり脈絡なくおすすめ漫画の紹介とかしたいと思う。

  吉富昭仁作『バランスポリシー』

 

 

 みなさんはTSFという言葉をご存じだろうか?

 「トランス・セクシャル・フィクション(またはトランス・セクシャル・ファンタジー)」の略で、簡単に説明すると、なんらかの事情によって性別が変わってしまった(性転換した)登場人物を中心にしたフィクション作品のことだ。
 ちなみに「TSF」と混同しがち/されがちな言葉に「TS」というものがある。「TS」というのは性別転換現象そのものを指す言葉であるが、「TSF」はジャンル全体を指す言葉である。この記事においても「TS」「TSF」という言葉を頻繁に使っているので、混同しないように気をつけよう。


 TSFで知名度の高い作品を挙げるなら、児童小説『おれがあいつであいつがおれで』(およびその映画化作品である『転校生』)や、『らんま1/2』といったあたりだろうか。最近だとヤングジャンプに連載されていた『ボクガール』や、単行本発売に際していろいろあった『境界のないセカイ』などが比較的有名と言えるだろう。

 現在大ヒット中の映画『君の名は。』も、男女の入れ替わりを扱ったTSFらしいが、残念ながら未見である(というかこの記事を執筆するために情報収集していて気がついた)。後日しっかりチェックしたいと思う。

 『らんま1/2』や『転校生』といったメジャーな作品を擁してはいるものの、ジャンルとしてのTSFがいまいちマイナーな存在であることは否めない。

 しかし、TSFには僕を含め一定のファンが存在していて、TSFをテーマとした青年向け漫画雑誌「チェンジH」およびその後継誌「トランススイッチ」(少年画報社)なんてものもかつては存在していた。

 残念なことに、TSFというのは、(需要と供給の少なさのせいだろうか)平均的な作品のレベルが高くないジャンルで、「チェンジH」に掲載されていた漫画にも、はっきり言って出来がいいとは言えないような作品がごろごろしていた。そんななかで、ずば抜けて質の高かった漫画が、今回紹介する『バランスポリシー』である。

 

 『バランスポリシー』を簡単に紹介すると、

 女児の出生数が極端に減少した世界、政府は科学技術によって男性を女性化する政策を進め、少子化を食い止めようとしていた。政府によって女性に改造された少年・健二と、健二の親友・真臣を中心に女性化政策に翻弄される人々の姿を描く、

 みたいな話だ。

 

 作者は吉富昭仁先生。『EAT-MAN』の作者と言えば伝わるだろうか?

 

 過去には『BLUE DROP』というTSF漫画も手がけていた。

 TSFファンの視点から見た『 BLUE DROP』については、いろいろ言いたいことがあるが、今回は省略したい。

 

 

  この記事で紹介する(しようと思っている)『バランスポリシー』を、僕は高く評価しているのだけれど、それは『バランスポリシー』がTSFが持っているある種の暴力的な側面をきっちりと描いているからだ……と言っても、これを読んでいる方々には、あまり伝わらないような気がするので、詳しく説明しよう。

 

 一般向けのTSFにおいて、主人公が自分の意思によって性転換することは少ない。第三者の意思か、もしくは超自然の意思(神とか運命とかそういうもの)によって、「不本意ながら」性転換するという話が多数派である。少なくとも僕が今までに触れてきたTSFにはそういう作品が多い。
 早乙女乱馬は「偶然」呪いの泉に落ちて、本人の意思とは別に女性化する能力を得てしまうし、『おれがあいつであいつがおれで』の主人公たちは「偶然」階段から転げ落ちて心と体が入れ替わる。『ボクガール』の主人公はいたずらの神ロキの純粋な悪意から女性になる。『彼女になる日』、『転生少女図鑑』などの作品では人間が意思によって逆らうことのできない身体現象・自然現象としてのTSが描かれる。
 なぜ一般向け作品において「不本意ながら」TSする主人公が多いかと言えば、おそらくその方が物語を作りやすいからだろう。
 ありきたりなことを言うならば、人生とは障害があるからおもしろい。自分の意思で性転換して、異性として順風満帆に暮らしました、めでたしめでたし、では、エンタテイメントとしておもしろい話になり難いのだ。
 主人公は物語の中で「試練」とか「障害」といった面倒くさいものに立ち向かわないといけない。
 そして、登場人物が「不本意ながら」TSするというプロットを持ったTSF作品において、性転換というのがまさにその「試練」であり「障害」にあたるというわけだ。
 TSが「試練」や「障害」である以上、主人公はTSという行為を基本的に厭がらなくてはいけない。少なくとも楽しみながら挑んでクリアできるようなものは、「試練」とか「障害」とは呼べない。

 作者は厭がる主人公にTSという行為を強要し、読者は、主人公が厭がる様を見て愉しむ。
 TSFが持つ暴力性というのは、そういうことだ。

 あるいは物語論としてではなく、もっと直接的な意味で受け取ってもらってもかまわない。

 TSというのは、肉体を作り替える行為だ。男性器を切除し、女性器と入れ替える。もしくはその逆。ちょっとどころではなく、かなりグロテスクな行為と言えよう。
 また、TSというのは自分がかつて持っていた男性/女性の身体を失うということであるから、当然そこにはアイデンティティの喪失という要素も絡んでくる。強制的なアイデンティティの剥奪や否定が暴力的であるということは、論を待つまい。

 さらに、TSFにおいて頻出する、肉体が性転換した登場人物が、思考や性的嗜好まで変化するという展開は、要するに人間の精神が書き換えられるということであり、一種の洗脳描写だと言うこともできよう。

 以上のように、かくもTSFとは暴力的なのである。

 誤解しないでほしいが、別に僕はTSFが暴力的な側面を持っているからといって、それを悪いとか言いたいわけではない。

 主人公に試練を与えるなんて言うのは、TSFに限ったことではなく、フィクション作品の基本中の基本である。極端なことを言えば、フィクション作品なんて、基本的に暴力性を持っているとも言える。そして、TSFもフィクションの一ジャンルである以上、暴力性を持っていることは、ある意味当然のことだと言えるかもしれない。*1


 ひとつ思い出してしまったので蛇足的に付け加えておくと、TSが一種の暴力であるという非常にわかりやすい事例として「華代ちゃん」シリーズというものが挙げられる。

 これは昔(今から十年以上前)ネット上のTS小説コミュニティで、重要なポジションにあったシェアワールド作品群だ。
 「華代ちゃん」シリーズに属するほとんどの作品は、悩みを抱えている男性が、華代ちゃんと呼ばれる謎の少女と出会って悩みを相談し、その悩みの内容を拡大解釈した華代ちゃんによって強制的にTSさせられるという、共通のストーリーラインをたどる。
詳しくは下のリンク先を参照して欲しい。

 

「華代ちゃん」シリーズ設定

「華代ちゃん」シリーズ シリーズタイトル


 上の設定を読んでもらえばわかるが、華代ちゃんは喪黒福造のパロディであり、悩みを抱えた男性を本人の意思とは無関係に性転換させる、非常にはた迷惑な存在として描かれている。
 華代ちゃんはまさしくTS=暴力という構図を具象化したようなキャラクターだといえよう。

 

 なお、ここまでで展開した論は、あくまで「登場人物が不本意ながら性転換させられる」というプロットを持ったTSに関するものである。

 一般向けTSFの中には当然、主要登場人物が自発的にTSする作品も存在している。

 たとえば『境界のないセカイ』や『戦闘破壊学園ダンゲロス』などがこのパターンの作品である。

 「登場人物が自発的にTSするTSF」において、登場人物が乗り越えるべき「試練」や「障害」は、TSとは別に設定されていて、TSはその試練を克服するための道具(手段)であるということが多い。この場合は、必ずしもTSが暴力性を持っているとは言えない。(もちろん例外はある)
 また、成人向けのTSFにおいては、TSはあくまで読者を興奮させるためのシチュエーションにすぎず、やはり一般向けTSFと性転換描写が持つ意味合いは異なっているということも注記しておきたい。(これにもやはり例外がある)

 

 さて、長々と話をしたが、上に書いたこと、つまりTS=暴力という視点は、全て僕が『バランスポリシー』を読んだからこそ気づいたことである。

 たぶん、『バランスポリシー』を読まなかったら、僕はTSFの持つ暴力的な部分のことなんて、考えもしなかったと思う。

 『バランスポリシー』は僕にTSFを読む上での新しい見方を授けてくれた作品であり、それだけで僕の中では特別な作品なのである。 

 

 バランスポリシーの主人公・健二がTSした理由は非常に明快である。「社会が要請したから」だ。
 バランスポリシーの人類は少子化という危機に瀕していて、女性化手術に適応できる者にとって、TSすることは一種の義務として社会から強制される。明言はされていないが、作中の描写から推察するに、拒否することはおそらく出来ない。

 

 しかも、TSした健二が求められていることは露骨である。なにしろ、「子供を産むこと」だ。ご丁寧なことに、女性に改造された人間は、子供が多く産めるように肉体の老化を遅らせる技術が施されているという。

 どこかの誰かの言葉を借りれば、健二は、国家によって「子供を産む機械」に改造されているのである。超がつくほどにグロテスクである。

 女性化した男性の外見が、施術をした科学者好みの外見であるらしいことも、はっきり言って「キモイ」設定である。

 

 しかし、実際に女性化された健二の反応がかなり淡白なものである。

 それが見ていて心が苦しくなるところだ。

 健二は、基本的に自分が女性化したことについて、(多くのTSFのように)ギャグっぽいオーバーリアクションで悲しんだりはしない。一度だけ、我慢できずに涙を流すシーンはあるが、基本的には寂しそうな顔をするばかりである。

 一方、普段の健二はややエキセントリックなところのある、やかましい少年として描かれている。オーバーリアクションしないことは逆に不自然とも言え、それだけ女性化された健二の悲しみが深いということが伝わってくるようになっているわけだ。

 むしろ読み返してみると、普段の健二のエキセントリックな振る舞いは、悲しみを隠すための単なる空元気なのではないかと思えてくるくらいである。

 少なくとも吉富先生の過去作『BLUE DROP』に登場したTS少年ケンゾーの脳天気なエキセントリック描写と違い、健二のエキセントリック描写には明らかに影のようなものが存在している。

 健二に対する僕の印象は、「諦めた人」だ。

 自分は女になりたくないけど女になるしかない(女になってしまった)という理不尽な現実を、受け入れてしまった人。

 そして、そういう理不尽を受け入れながら生きている人間は、現実世界にもゴロゴロ転がっている。

 僕には健二の姿が、劣悪な労働環境を「まあしょうがないよね」と甘んじて受け入れてしまうブラック企業の社員のように見えるのである。

  対して、健二の周囲にいる人物たちがとる反応は様々である。

 健二と対照的に感情をむき出しにする健二に恋をしていた少女・ミーコ、健二との距離感がわからず明らかに誤った態度をとる健二の父親、健二の変身に戸惑いまくるもう一人の主人公真臣。

 悲劇に対して、一種の諦念のようなものを抱いている当事者よりも、周囲の人間が困惑し、それを心配してみせる、というのもやっぱり嫌な意味でリアルである。(もちろん一番深く傷ついているのは当事者である健二である)

 ここまでTSを生々しい「厭なもの」として描いてみせたTSFは、多分他にない。少なくとも僕は知らない。

 TSFの持つ負の側面を真っ向から描き切ってみせている。それだけで、『バランスポリシー』はTSF史に名を残す大傑作であると、僕は言い切りたい。

 …ところで、ここまで読んでくださった方は、『バランスポリシー』って非常に重たい雰囲気の作品だと思われるかもしれない。

 暗い作品を読むのはいやだと敬遠されてもいけないので、ちょっと補足説明しておくと、『バランスポリシー』の作品全体の雰囲気は決して暗いものではない。

 コミカルで笑えるシーンも多いし、登場人物全員が善人であるため、人間関係ドロドロ描写みたいなものもない。

 ただし、彼らは皆健二のTSによって少なからず傷ついており、善良さとか明るさが、逆にその傷をくっきりと浮かび上がらせているとも言える。

 

 

  最後にもう一つ付け足しておくと、『バランスポリシー』を読んで凄いと思ったのは、同性愛に対する視点だ。

 TSFというのは、同性愛的な要素と関わることを、ジャンルとして半ば義務付けられている。

 男性が女性の身体で男性や女性と絡んだり、あるいは逆に女性が男性として女性や男性と交わるわけだから、それは当然といえば当然であろう。

 しかし、その関わり方が必ずしも好ましいものであるとは限らない。というか、非常に浅薄で不愉快なホモフォビア描写を繰り返す作品が少なくない。

 ネタバレになるので詳細は割愛するが、『バランスポリシー』の場合、百合漫画も大量に描いている吉富先生の作品だけあって、同性愛の扱い方が、他のTSFとは一線を画している。

 僕は最終話のとある1コマを見た時、「すげえ」と声を出したくらいだ。

 

 

 なにはともあれ、『バランスポリシー』は、僕の中でTSF漫画のオールタイム・ベストなので、皆さんにも是非読んでいただきたい。

 TSFの愛読者も、TSFに全然興味が無い人も、きっとTSFに対する見方が変わるはずだ。

 

 

 

*1:完全に言いたいことからそれるが、『忍びの卍』や『戦闘破壊学園ダンゲロス』等の作品ではTSを用いた戦闘・戦略・殺人という描写が実際に登場する。重ねて言っておくが僕が言いたいことはそういうことではない